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静浜基地OB会 会報
第17号
(発行責任者OB会第3部会)
(平成15年L月1日発行)
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巻頭言
0B会会長鈴木和親
会友の.皆さん. 新年明けましておめでとうございます
。
OB会翻立から歴かけ8牢冒に入bました。.この間、役員の方々のご努力と会友諾氏のご協力のお陰でその港動を続け、一応の成果を収めることができましたことを、この期に改めてお礼申し上げます。しかし、創立当時の盛り上りが薄れていることも事実です。
せっかく、魯分たちで造ったOB会なのですから自分たちで元気に育てて行こうではありませんか。
今年もも、もうすぐ総会そして15年度の事業をスタ一トさせ葎くなくててはなりません。全員で知恵と力を出し合い、実・汐のあるOB会にしていきましょう。
最後になりましたが、年頭にあ走り会友紙およびご家族のご健康をお祈りいたレます
事務局便り
平成14年度事業
1
周帰りバス旅行
は、9月2.・8.冒(土)実施、鎗木会長以下31名吉田観光大型バスで山梨県昇仙峡観光と巨峰ぶどう狩りに行きました。基地を出発したときは小雨が降ってい婁した雌申で止み、昇仙醸の幽谷ξ奇岩はな=かな岬風挿・車を止めて車窓あパノラマ、その後、甲府郊外の観光牟どう燭r一古園ガに到脊、巨蜂のトンネルに手を紳ばし籠に摘み口に運ぶと広カミる甘味はやはり女王。禾後に恵まれ、酒もよし・話も弾み本当に楽しい旅でした。
今回は、9名の女性の参加もあって大いに盛り上がり曲上がり、“次回は・一泊旅行!こ"と女性軍の声、男性少々揮され気味でした。綱部は、本誌伊藤民寄稿参照。
2 第3部会会合
9月29日,(日)於:宗商第一公会堂」'1.会載第玉'6母.'縛務属躍馳)の発送作業。会費未納者への催促状も併せて同封。
3 第1部会会合
10月31日(木)於.基地厚生センター
バーベキニェ“夫会警構?最終打ち合わせ白'
4 バーベキュー大会実施 11月10日(日)1200〜1430於:基地厚生センター
参加者:鈴木会長以下会員29名と現職隊員として副司令原田1佐以下18.名。
'好天に恵まれて会員相互の親睦と婁職隊鼠との牽流ができ楽しい会となりました。第1部会が担当し、賄いは防衛共済会に委託しました。鯛部は・本誌花咲氏寄稿苧照。
5 第1部会会合
12月12日(日)於:.基地厚生センター
一議題:OB会総会於:・基地摩生センタ∵および親睦会(3月予定)の実施内容
基地行事への参加
1
11飛行教育団選手集団武導大会
に参加(11月5肩〜7日)
10月29日 鈴木会長から団司令にOB会からの選手激励金を手交された。
2
副司令原田鯛綱1佐の退官
に伴う「原田副同令を送る夕べ」が11月26日ホテルアンビア松風閣で実旛され花咲事務局長が出席。なお、原田1佐は12月1日付で空将輔に昇任され、同日退官されました。温厚な性格で、OB会行事にはご自身はもとより現職隊員へ参加を勧めていただいたり・○遷会の意冠をよく簸り人れてる等深いご理解のもと大変お抵誘になりました。今後のご活躍とご鰹鱗をお'砺りしたいと思います。
人物往爽
訃報「髭のとうちゃんjこと和田由典氏(78歳)が11月23日17時52分にご逝去されました。通夜は11月25日、
葬儀(神式)は11月26日に平安会館(藤枝市)て行われ、OB会から花輪1基を送りました。弔閥客のなかに多数のOB会員が参列しておりました。氏は睦軍幼牢学校(43期)、陸軍士官学校(航空・58期)。戦後、航空自衛隊に入隊、T−6時代の操縦教官をされ、静浜基地の飛行隊長、御前締分竜基地司令を歴任されました。OB会行尊によく出席され、艦摩な鼠貌が忘れられません。.ご冥福をお祈りします。
事務属雑感
1 和田氏ご遜去に際しては、近くの会貴池谷栄民から直ちに情報を戴き、会則により「花輪」を送ることが閲に合いました。丁度、事務局長は不在であり、初動を安藤4一一低と字上八十八氏の両会員がすぐにとっていただき、大変お世話になりました。今後とも、タイムリーな惰報をお願いします。
212月8日で「静浜基地OB会」発足満6湾牢を迎えます。感慨無量、会員皆様6ご協カの蜴物と感謝します、
同好会便り
ゴルフ部
藤枝市 部長 河原義
光
新年明けましておめでと一うございます。
「カーン」自球が青空に糸を引いて吸い込ま扱亡いくとき、「ナイスショット〕このコ』ルが山や森に二だまし、ゴルフコースのすべてが臼分のステージに様変わりすると冒ご一のストレ.スもはじけ'散る気.分になります。
年をとっても年代を越えて楽しめる奥の深い.スポーツとして定年前から初めて7年民今でほ家内も子供も始めて家族そろってコースを回る等、大いにエンジョイしています。始める前までは垣根が高く、金がかかると二の是を踏んでいたものの、…寸したきっか1でゴルフを始めてからは随分と交際の輸が広がり、潤いのある生活になってきたような'がします。先目もゴルフで知り合った同年代の夫婦とラウンドしたり、その夫婦の知り'いとも親しくなったり、みなで食事会をしたりという」具合です。
しかし、何とといっても、「ゴールフの効用」は「健康維持」に気を健うようになったこ.とでしょう。う.、・・一土日になれば練習場でクラプを振り、臼分なりの目標をイメー一ジ'して鍛えることが、また、気分転換にも繋がり、そのため、自然に節制するよ1うになり日ごろの一ストレ.スを無窟識のうちに発散させているという精神的にも肉体的にも良好な連鎖となっています。ゴルフに.対する偏「金がかかる」、「年寄りの寄りのスポーツプ」等は最近の「ゴルフの多様化」「若い人達および婦人のゴルフ人口の増加」等により大幅に見直されつつあり、費用についても感覚的に1ヶ月の昼食代又は酒代で十分楽しめるようになってきました。
「ゴルフの精神」が「自己竃任」に帰着するという汚わばジェントル・マン精神で成り立っていrう点がkポ★1}[、尊大になりつつある年代の自分分を謙虚にきせ、自分のポテンシヤルを高めるめる上で役立っていてとても気に.人っています。年4回の会社のコンペにも欠かさず参加し、職場の仲間と和気藹々楽しんでいます。(写真)
おっと言い忘れていましたがOB会のゴルフ部の世話人として年4〜5回のコンペを企画し懇親を深めていることは「言わずもがな。」です。
「ゴルフをやってみようかなあ」と思っている人は、是非、躊躇することなくお尋ね下さい。そして、ゴルフができる幸せをともに味わいましょう。!是非是非どうぞ
(連絡先:пF054−636−3099、または、最寄りの部員まで)
グランドゴルフ部(その1)
大井川町部長広瀬章
「ハーイこちらグランドゴルフ部報道部です、かく'淳う私は、万年部長兼スポークスマンといったところです、「OB会会徽jの原稿提出についてはいつも担当の方にご迷惑をかけ、申し訳なく思っております。何しろ昭和一桁の落ちこぼれ、文章を書くのが大の苦手、積栂約に投稿をと思っていますが1日1日先送りといったと二ろです,締め切りは歩)11月末まで数日となり、何とか腺稿用紙j」枚を、とペンを飯りました。
グランドゴルフ部は現在登録人員16名、ホームグランドは吉田町大井川河川敷の高島グランドで、町への使用峰し込みなど雑用はすべて吉田町在住の森澤さんのお世話になっております。月例会は毎月第2土曜目の午前9時から行っております。毎回10人前後の参加者でプレーを楽しんでいます。メンバーの大部分の方が定年後のお仕事をしていたり、また、地域のグランドゴルフのグループに入っているために、参加者はいつも10人穫度となっています。
なんといっても一番のメリヅトは、長年同じ目的のために働いてきた仲間同士、気心も知れており気を使うことなくのぴのびプレーを楽しむことができるということです。グランドゴルフの良いところは、ボールを打つステックとボールがあれ.ぱ一人でもできる競技です。
月例会を行ううえでグランドの確保がやはり一番大変で、いつも森澤さんにお世話をかけていますが、やはり同沃;の骨折りで吉閏町図書館に隣接するグランドを年間を通じて利用さぜていただくことになりましたので、個人でいつでもプレーを楽しむことができます。健康づくりの一歩としてグランドゴルフをよろしく!会員の皆様の参加をお待ちしております。
グランドゴルフ部(その2)
吉田町森澤志郎
グランドゴルフフ部は、毎月第2土曜日(雨天の場合は第3土曜日).を月例として楽しんでいます。
話によると藤枝市や大井川に住んでいるOBの方で地域でグランドゴルフグラをしている人がいると闘いております。OB会「グランドゴルフ部」と'を試合をしてみませんか。? 色々なところでプレーするのも、また、楽しみなものです。
皆さんの参加を待っています。
14年度事業雑感
「バーベキュー大会」を終えて
事務局長花咲幹生
心配した天気、なんと終日天気に恵まれ、11月10日(日)OB会は、基地施設を借りて、表記事業を実施。久々に懐かしい方にお会いできたこと、ただただ感謝す・る昨今です。役員集合時刻1時閣前に入門「今日はOB会がお植話になります」立哨のWAFさんの出迎えを受けました。エプロンの方からC-1のプリフライの轟音は、はやEXが始まったのかと往時を思い出す。基地運動会、隊容点検、合同朝礼、等々基地グラ・ンドに立つと想いは巡る。芝がよく整傭ざれたサッカーグランドになっている1。ふと、フェンスに目をやるとこれは珍しいぺ甘夏か?枝もたわわに浅緑の実をつけており、その一角に基地バーベキュー場がある。東屋鳳のバーベキュー釜場、流し台食台の配置、'入り口の蔀戸、風雅な造りに芝や生け垣の手入れもよく、なかなか、乙なものである。
本日の鮪いは防衛弘祷会に委託、小林さん吉田さんは休日出勤、早朝から食材の調理等の準備をしてくだきった.。受付闘始は11時、気の早い夜勤は30分前に到着し、受け付け前にたむろし談笑に花、広報の井坂3尉から借用物品を受け飯り第1部役員で会場の設営、東屋にバーベキュ大会看板を標示・∵=三鴬、東、騒に.バーベキニ三、一.一欠会三膏板を標示、これは書道部長櫻井氏の力作、カラフルな出来、意外に寸け位置が高く準傭した脚立で左右のバランスや風対策、ガヤガヤやりながら立派に取り付け完了。
準備した食材等をみんなで違び、炭火を起こし鉄板をしく、喜色満面、、年はとっても昔とった杵柄、往時のの猛者にかかると手回しよく、会が始まる前にははや焼肉の香、炊煙漂い、1、'、バーベキュー気分はすっかり嬢成された。1部会艦井氏の司会で会は順調に進んだ。東屋の前で記念写貞撮影、鈴本会長の挨拶に続き原田副詞令の・観辞を戴く、乾杯は水越副会長で和やかに1姶まった、現職隊員との語らい交流は批鮫約少ない。それでも晩秋の空のもと大いに盛り上がる話は尽きない。卓を巡りマイクを回しワンボイントメッセ一ジをお願いした。現職新着任の感想や再度の着任の方久しぶりの基地の内外の代わりように驚いたという話、特に新着任で異色な存在は気象隊長の佐藤愛子3佐だろう。
フレッシユ.で新時代を感じた。
鈴木会長の挨'拶にもあったようにOB会寮業の3本柱のひとつである「現職隊員との交流」があります。現職隊員からは自衛隊の現状を閥近に聞き、OBからは往時や退職後の経験等話題の交換が活発になされた。、(1)〕3からは往時や二灘紬1n二1噂1等謡.糧の交■換が活発に匁さオモた二、・私た'らOB会のことを少しでも知っててもらい、やがて来る退職時にはOB会へ塵んで入会していただき活躍を期待したいものです。退官者の入会勧誘も総務部長にお願いした次篤、会貴数を瑠やしOB会の体力をさらにつけ喜んで入会していただくよう匁活気あるOB会にしたいものです。
久々にお互いに健康を確かめ合った会員、話は尽きないが定刻となった。
「納杯」は新会員の西村邦明氏に執ってもらい閉会とした。を・{纏か序)含・一1)た会蟻、1…iξはばきないがllむ剣とな・った一は漸会賢の'概村邦明民に執・ってもらい鮒会とした.、;「発つ鳥跡を濁きず」、会長以下全会員で後かたづけ、、かまどの底も籏水沈浄、、塵の分別供用物品の返納、等等「また、来年も貸してもらわにゃ一いけんしけーのー」と、維かが、大いに笑い楽しい1日でした。
OB会バス旅行
金谷町伊藤幸雄
9月28胃(土)'最終乗車の方を藤枝駅南口でひろい、元気いっぱいのOB32名を乗せた観光バスは、あいにくの小雨の降るなか、一路「昇仙峡とぶどう狩り」に出発した。“今目は1目雨"との天気予報でしたので、最悪の旅行になるかと覚悟を決めていましたが、朝霧高原を過ぎ、鳥坂峠あたりにさしかかると空カ…明るくなり始め霧雨模様になってきました。
昇仙峡に着いたときには雨もすっかり上カミり傘カ童なくとも見学することが出来、役員の方々の冒頃の心がけのよさに驚きました。ありがたいことです。
早遠、ほうとう鍋と松茸ご飯の食べ赦題の昼食となりましたが、いずれも中年太りと中惟脂肪が心配のようでお替りをする人はいませんでした。
紅葉の季節には早いせいか観光客は多くなく、渓谷の散歩を十分楽しむことが出来ました。実は、30年ほど前に旅行に来ておりましたので、昔を思い出しながら散策を楽しませていただきました。
ぶどう狩りの場所は静岡県内にもたくさんあるようですが、やはり本場、ぶどうの里ということで山梨の勝沼へと向かいました。今がシーズンとあってこのような天気にもかかわらず園内は大勢の人が楽しんでいました。巨峰ぶどう、もぎ取り食べ放題ということで張り切って食べ始めましたが、なんと2房カミ食べられませんでした。意外!もう少しはいけると思ったのですが〜。持ち掃りは1キロ1500円とのことでお土産にと手持ちの籠に入れて清算したら2房弱で1700円になりびっくりしました。(園の方ではじめから籠に入れて売っているものは3房ぐらい入っていて1000円で売っている)店の人は品種が違いますと言ってましたが、私には同じ巨峰にしか見えました。(どうも謡のスケールが小さくて恥ずかしい1)何年かぶりで皆さん方と会い色々な話が出来楽しい1目を過ごさせていただきました。来年も楽しみにしています。翌目、テレビ報道で同胞の(自衛隊OB会)旅行(ぶどう狩り)でバス事故のニュースを闘き、我々OB会旅行が無事であったことを轡閏観光様ありがと
思い、あらためて吉田観光様ありがとうございました。
会員の声
居間のフローリング
吉田町 森澤志郎
仕事中をリタイヤしてはや数牢・お決まりの「毎日が日曜日」という生活の中で1日1万歩のウオーキングを今も心掛けている。 月末には薬(糖尿病)とり、季節毎の庭の手入れ(剪定、消毒)庭木講座、寿大学、グランドゴルフの練習、買い物のアッシー君等暦にはそれなりに書き込んである。
最近・テレビで部屋の改造を見て勅激を受けたわけでも征いが・20年目の居間ののカーぺットを見ると色はあせどうもせどうもダニや蚤が住みついているらしい。妻も何年か前からでフローリングに憧れていたのでおよいよ板の間ににすることに決めた。10月に入ってジャンボエンチョーで買った板を部屋一杯に広げてから作業を初めたところ、「なら板」は硬くて釘を止める穴を錐で開けるのに3枚ほど開けたら手は豆だらけ事け、これでは時間のかかれいすぎ、電動キリに切り替えて穴あけはなんとかなるかも、継目の合わせ、鋸で板を切り、釘打ちを繰り返し58枚(4坪)の板を張り替えるのにたっぷり二日かかってしまった。やはり年のせいかしばらく腰が痛くてしんどかったがかみさんも満足してくれたし、自分でも板と板の間との隙間もなく思い通りに仕上がったので、フローリングにして良かったと思っている。
★スクリング加工フロアー釘#14×38mm(欲しいい方に差し上げます).
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南の島の遠い夢
の日
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吉田町南忠男
昭和19年10月10日、沖縄戦が始まりりいよいよ戦争が間近になった翌年の風の強い1月のヵ欄近!千な†竿年の風の強い、王旦皿ある日、「兵隊さんか池田の浜に流れ着いているぞ」という叫びに私は300m程離れている池田の海岸に走っていった。
海岸には打に10人ほど人がいて沖を指差し揖差し何話しをしている。見ると強い西風で海は荒れ自いしぶきが遠くまで飛んでいる。その波に洗われでいるあちこちの岩礁には柄の長い鳶口を持った数人の警防団の人が撃岬の人が周囲を見張っている。また、波打ち際の砂浜では同じ<警防団員員が数人委右往左往している。聞くと、うち寄せる荒波に乗って次から次へと流れてく争兵隊さんを引さ上げているのだがまだ生存者はいないという。後日分かったことだが、漂着した人は全員死体となった兵隊さんで島の西海岸を主に100人程度だったという。夕方には、神社境内に収容にするためそれぞれの海岸からモッコ(竹で編んだタンカ)に乗せて町の中を運搬していたため、よく見るこることができた。…その様子は、 顔、身体等等の損傷のひど
どい人には毛布を掛け、その他の人はそのままで運んだようでズボン、靴下等がない人が意外に多く・手足の白さの白さか夕暮れに特に印象的であった。
二日後、1km離れた競輝場跡の砂浜で兵隊さんを燐くとかで我々小学生は一人2本のの薪を家から持って砂浜にゆく、現場では数カ所で穴を掘ってあり、その近くに薪を置き帰ったが遠くの方か早くも煙がまっすぐ
登って行くのが当時小学生だった私には忘れられない光景です。」二ヶ月後の3月21日早朝、空襲警報が発令されたので小学校の裏の里山の竹林に家族で避難した。姉二人は朝食め準傭でいなかった。午前9時
ころ、飛行機の音がしたかと思ったら、いきなり「ダダダー」'と機銑弾の発射音が聞こえ私は目と耳を両手で塞ぎう伏せた.空襲はなかなか止まず、また、機銃音は常に自分の背中を打っているようにているように聞えて岬こえ、恐怖のため泣き出してしまった。ようやく爆音が消え静かになったので立ち上がって町の穂方を方をみると黒い煙が立ち上がっ下いる。この空襲で町の中心地の家屋の70%が消失した。私の家もこのとき焼け出されたため竹林で夜を過ごして父を待っていた。
5月下旬、島は初夏の暑さです。近くの川に「ラクマエビ」を採りに行き家に帰っててみると母が一人で泣いている日「どうしたの」と闘くと「父ちやんが兵隊とし亡明日軍隊に行くくことになった」という。このとき、島の守備隊の編成命令がでて島の男性のほとんど余招集された。1週間後、父は軍服姿で家に帰り明冒島の南端にある島間部隊に行くという。
父、時に45歳。
戦争の足音が近くに闘こえたと幸でした。8月10日の午後、島の全住民に指示があり、
「命令次第いつでも指定された島の高地または山地に避難できるよラ準肺せよ」とのこと、
いよいよ米軍の上陸も近いと家族は覚悟を決めていたが、幸いそのような事態にならず8.月15日の終戦を迎えた。
あれから54年、島の自砂青松の景色は昔と変わらず穏やかな時を刻んでいる。
しかし、近年の生活の南上および交通機関の整備はこの島でも図られ、昔は鹿児島までの船旅は8時間であったが今では高速ホーバークラフトで1時闘30分である。また、550年前の戦国蒔代の武器の花形となった鉄砲の誕生地が今では宇宙センタ]の発射場となり全国に注冒されるようになった島、その島こそ私が生まれ育った種子島です。
50数年前に起きた種子島での小学生の私が体験した戦争をみなさんにも知ってもらい、
何らかの参考になればと思いペンを持った次第です。
ふるさとに返って
焼津市 増田延代
33年ぶりにふるさとに戻って5年がたちます。私は昭和34年1月静浜基地通戸隊に入隊しました。それから6年の短い間でしたがい世話になりました。
子の6年間私にとっても生涯忘れられない多感な青春時代を過ごした日々でした。
退職後緒婚し、その当時としてぽまだ遠かった四国での新しい生活が始まりました。
その後、子供三人に恵まれ、いつしかその土地二も慣れてそれぞれの成長を楽しみに月日を重ねておりました。そのうち子供たちも年頃よなり、相次いで結婚してゆきました。待望の孫が生まれた頃が私達の一番幸せな時期だったと思います。これからのんびり出来ると主っていた矢先に主人が他界しました。色々なことが走馬灯のように襲い掛かり失った人の大切さに涙する日々で体調も崩してしまいました。悩み苦しんだ末子供たちや私の兄弟の支援もあって私が選択したのはふるさとの父母のもとに返ることでした。
千叩ぺ率坤・い?レ咋叩弾にも卿hれぞh蹄長畔d舛朋を重や呼辛峠アーh.ち子供叫年ごろになり幣噂摩し咋、苧峠、待竿榊午ま咋干亭岬卿二雫呼時然?乍と砕匁、坤叶っとめんぴう出来ると恩っていた矢先に主人が他界しました。色々なことが走馬灯φ幸うに襲いかかり、失った人の大切さに涙する日々で体調も崩してしまいました。
悩み苦しんだ末、子供達や私の兄弟の支援もあって、私が選択したのは、ふるさとの
父母の元に帰ることでした。
子の長い空白が嘘のように帰郷した私を昔の仲間は温かく迎えてくれました。本当にうれしく心強く思いました。今もその仲間たちとの交流は続いて、毎年旅行が計画されています。こうして、ふるさとの生活も5年がたち落ち着いた静かな日々を送って
います。OB会にも入会させて戴き、月1回のグランドゴルフも皆さんに会えるのを愉しみに参加させていただいております。
今昼はパートに出ていますが、休日には青春時代の友とお芝居やおしゃべり等々
楽しいお付き合いをさせていただいて降ります。また、年に何回か子供達ともしやべ東京や四国から会いに来てくれて孫達に会うのも楽しみの一つです。
ふるさとに掃って本当によかったと実感しています。これからの私は・健康に留意し、自立を目標に隊泰で出会った人たちの暖かい心に感謝し、また、支えられて楽しマイペ−スの人生を送りたいと思います。
奇術の楽しみ
藤枝市秋山信義
早いもので私も退職してから9年の歳月カ堀ぎようとしています。体力も徐々に衰えいくような気がしますが、毎目約1時闘のジョギングを続けています。
また、余畷には、奇術を習いながらボランテア活動として子供会、老人会、公民館禁など各地の行事に参加し、人との交流に役立たせています。
奇術は、抵界共通の遊びですから、人の心をひきつけ、相手に強い印象を与えますカ'親善に役立ちます。また、家庭を明るくし、人生を楽しく杜交界で人気者となり生活を豊かにします。
興味のある.方は、毎週第1、第3日曜目に静岡のSBS学院、パルシェ7階で開かれております。いつでも講でも入会できますのでおいでください。
心の豊かさを追求して残る人生を輝かせたいものです。人生の幸福とは、健康、ほどよいお金、よい人閥関係ではないでしょうか。
高齢化と少子化時代を迎えてスポーヅ(学校スポ一ツ、
生涯スポ一ツ、地域杜会スポ一ツ)についての考察
(第16号からのつづき)
浜北市紙谷稔
5 運動、スポーツ実施の経済的効果
厚生省の研究瑛(東北大学の研究グループ)生活習慣が医療に与える影響を明らか にするために、高齢者の国民健康保険加入者約56000人を斌象に実施した分析緒果は 、毎冒60分以上歩く人の医療費は44,7万円であったのに対して、30分から60分の人 は52,9万円、30分未満の人は59万円と運動量《歩行時間量)が多いほど逆に医療費が 少ない健を示している。
そして禁嬢を守り適正体重を維持し毎目1蒔閲以上歩いてい る人の医療費は、 44,3万円と最も少なく、その逆の生活習慣を送っている人の場合 は、59,7万円で 前者の35%も多く医療費がかかっていた。(この分析結果は、1995年1 月から1996年 11月までの23ヶ月閲の一人当たりの累積医療費を計算したもので運動 との関係で の緒果である)
国民に運動やスポーツによる積極的な健康造りを奨励することによって、ど の ような経済的メリットがあるか調査研究やデータの収集、分析 活動も各国で 活 発に行われて国民医療費の節減につながったと数多くの報告が出ています。
運動、スポーツによって免疫を高め、精神的、'身体的困難やストレスに打 ち 勝って長寿を全.うする体力をつけたいものである。
虚弱老人や要介護痴呆症老人、また、寝たきり老人にならないよう運動、 スポ ーツによる生活習慣を身につけて 家族に迷惑をかけないよう、また、一人暮らし の老人になっても孤独に強く生きる には、生きがいを運動、スポー一ツに求めて いくことこそが大切ではないかと思います。
浜北市体育協会理事・浜北市剣道連盟理事長・浜北市なぎなた連盟副会長
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編集担当者からのお詫び
前16号の紙谷氏寄稿のうち、次のとおりの記載誤りがありました。深くお詫び串し上げます。“訂正箇所"9ぺ一ジ12行目'「約500」を「約5000」に
10ぺージ2行目「5兆円」を「54施冊に
3行目「10苑円」を「104兆円」に
会員間の情報交換について
鈴木会長から次の提案がありよいアイデアでありますので、本誌を通じて会員間の惰報交換の場とさせていただきたいと思います。情報がありましたら事務局または編集粗当者までお知らせください。
★不要晶交換
(有料でも可)
一森澤民の本誌寄稿にあるような他の人が必要とするような物で、自分は使期しない物がソありましたら、お互いに交換し有効に使用しましょう。ゼ不用晶交換構報」をよろしく。
★仕事情報
もう65歳を遇ぎたから仕事はしたくないという人は別にして、体力にも自信があり毎員員曜胃で家にいても仕方がないとか、趣味だけに毎冒を費やすのもあきたとか、また、毎目ではなく週3員ぐらいは、あるいは、一冒5時間ぐらいは小遺い稼ぎと暇をつぶすた・めに働きたいと思っている人がおられると思います。約250名の会員の中ではたくさんの情報があると思います。そのような会貴の手助け精報附事構報」をよろしく。
編集担当者からのお礼とお願い
本誌も皆さんのおかげで何とか形を整えることカ油来ました自特に、「会員の声」欄で投稿されました方冷は、それぞれすばらしい肉容で、読んでいて感慨深いものがあります。投稿された方々にはその都度電謡でもお礼さし上げるべきところですが、本誌を借りてあらためてお礼を申し上げます。また、寄稿は、講でも、いつでもお寄せいただきたいとお待ちしております。なお、浜北市の紙谷氏からは長文の寄稿があり、次回掲載とさせていただきます。替さん、今年も健康でよい年でありますようお祈りします。
“
本誌への投稿をお願いします
"送り先:〒426-O011藤枝市平轟625-5五鬼丸哲朗(1虹054-643一一一4902)〒421-0205志太郡大井川町宗高王558-4花朕幹生(事務局長)(塩054-622-3276)